
大量にゴミ出しをする筆者
昨日は久しぶりにはやく帰れたので、土曜日に早起きすることができました。
金曜日に深夜残業したり、ストレスからお酒を飲んだり、スマホを見つめて夜更かしすると、土曜日の朝起きられずせっかくの休日が楽しめなくなります。
労働者にとって、土曜日は人間性を取り戻せる貴重な時間です。
日曜日は休日出勤したり、月曜日の労働に怯えてうずくまったりしなければならないので、真の意味で心が安らぐのは土曜日だけです。
城山三郎「毎日が日曜日」は退職した商社マンが生きがいを取り戻していく名作セミリタイア小説ですが、
毎日が「日曜日」というのは、土曜の「半ドン」が死後となった令和では無職の表現としてやや不十分でしょう。
セミリタイアの真価は翌日を気にせず全力で遊べることにあり、したがって毎日が「土曜日」というのが適切だと想います。
筆者も無職だったときは徹夜して空知英秋「銀魂」を一巻からひたすら読み続けたり、唐突に深夜のお散歩に出かけて夜明けまでマクドナルドでラッセル「 怠惰への讃歌」を読んだりしていました。
週5日、50時間規則正しく働く人生と、本能のおもむくままに目覚め、歩き、食べ、マンガを読み、好きな時間に眠る人生のどちらが真に「人間らしい」のかは意見が分かれるところです。
筆者の意見では、人間らしい生き方は後者のほうです。
おそらく、このブログを読んでくれる読者のかたも同じ意見でしょう。
衣服キャンセル
時間に余裕があったため、掃除と洗濯をすませ、さらによれよれになっていた服を買い替えました。
かつての筆者にとって服というものは外気から体を守る布としての機能しかなく、見た目などどうでも良いと思っていました。
そのため穴があいた靴下をそのまま履くのは当然として、明らかに汚れが染み込んだ服でも破れない限り何年も着続けてきました。
しかし加齢とともに汗や加齢臭が目立つようになり、サラリーマンとして働いている手前あまりにも薄汚れた格好をするわけにはいきません。
そのため、この機会にスーツとYシャツ、靴下、下着、靴を全捨てして買いなおしました。
さらに枕カバーとベッドのシーツも新調しました。
長年の節約生活により、1万円以上の買い物をすると恐怖を感じるようになっているため、とくに靴を買うのに難儀しました。
しかし靴は毎日履くものですし、お金よりひざの軟骨のほうが貴重であることは確実ですから、値段よりも歩きやすさを重視して買い替えました。
唐突な爆買い
それにしても、なぜ突然服の買い替えなどしたのでしょうか?
グラム100円の鶏肉とグラム150円の豚肉のどちらを買うかスーパーで15分くらい悩む筆者が、突然服を大量購入し始めるのは不自然です。
まあ最大の理由は自分の脱いだ服から何とも言えない加齢臭がしたので、
職場で若者たちから
「🧑うわ、クッサ!なに?このおっさんちゃんと風呂入ってんのか?」
「🧑🦰ちょっと○○さん臭うんだけど・・・誰か指摘してあげる人いないの?」
「🙍あの人いい年して独身だし、友達もいなさそうだもんね」
ひそひそ・・・
ひそひそ・・・
😭😭😭😭
と陰口を叩かれているのではないかと妄想(※)して怯えたというのが最大の理由なのですが、
※筆者は近くで知らない人の笑い声が聞こえると、「もしかしてこの人たちは私のことを嘲笑しているのではないか?😨😨はやく逃げなきゃ😭」と怯え始めるタイプの人間です
それにしても普段の筆者であればもっと慎重に、
「この靴下は・・・まだ穴が空いていないからセーフ!」
「このYシャツは・・・襟元が黒ずんでいるけど着ればどうせ見えないからセーフ!」
などと検討に検討を重ねてから買い物を始めるでしょう。
突然衣服を全部捨てて買い替えるというのはただごとではありません。
買い物を始める条件
そんなことを考えていると、ふと数年前にも似たことがあったのを思い出しました。
あれは確か2020年のコロナショックのころ、同じようになぜか急に買い物をはじめた事がありました。
しかも、2022年にも同じ事がありました。
共通点は、いずれも株価が短期間に大きく下落したということです。
そういえば、懐かしのツイッターでフォローしていた投資家やセミリタイアラーたちの中で、なぜか株価が下がったあとに高額の買い物をしている人がいたのを思い出しました。
損失回避バイアス
人間には生得的に損失を利益よりも大きく評価する機能が備わっており、行動経済学では「プロスペクト理論」と呼ばれます。
詳しくはウィキペディア
を参照いただければと思いますが(なげやり)
一説によれば、損失は利益の2.5倍ほど強く感じられるそうです。
つまり、1万円損した悲しみは2.5万円得した喜びでないとカバーできないということです。
このため、普通の人は(たとえ期待値が同じでも)生得的にリスクを避けるようになります。
有名な実験はノーベル賞を受賞したダニエル・カーネマンたちの「コインを投げて表が出れば1万円もらえるけど、裏が出れば1万円取られる」というゲームで、
このゲームをほとんどの人はやりたがらず、表が出たときにもらえる金額が2万円とか3万円になって、ようやくやってもいいという人が出てくるようになります。
しかし面白いことに、損失が拡大し、ある一定のラインを超えると損失に対する痛みが麻痺し、不合理なギャンブルにも進んで参加するようになります。
筆者はコロナショックのときに、株で大損した投資家がさらにリスクの高いレバレッジ商品に投資して破滅したり、
少ない資産でセミリタイアした人が事業の失敗や株価の下落で生活費を賄えなくなると、
仮想通貨や怪しげな金策に手を出して破滅していくのを震えながらtwitterで見ていました。
こうした一見不合理な行動も、プロスペクト理論によって説明することができます。
つまり損失が普通の手段で回復不可能なラインを超えると、そこから先は大きなリスクを取ってでも一発逆転を狙うのがむしろ合理的だと脳は解釈するのです。
問題は、これが旧石器時代にサバンナでライオン🦁の群れに包囲されたときは合理的な考え方だとしても、
投資でこれをやると余計に状況が悪化してしまう可能性が高いことです。

旧石器時代のイメージ
おわりに なんか右足と左足のサイズが違う気がする😮
もしかすると、筆者の本能は先日証券口座を確認し、前回確認したときから突然数百万単位でお金が減っているのを認識し、
「緊急事態だ!どうしよう!このままだと餓死するかもしれない😭ホームレスになるかもしれない💀」
と思って、慌てて衣食住を確保しようと思ったのかもしれません。
あるいは、年収並みの含み益が失われたのを目にして、
「今更数万円節約したところで無駄それよりも健康に気をつけて、清潔にして病気にならないように自己投資しよう」
と解釈していきなり服を買い替え始めたのかもしれません。
いずれにせよ、人間は自分の行動の「本当の理由」を知ることなどできないのです。
あるいは「本当の理由」など存在せず、ただ自分でもよくわからない行動をとり、あとから都合よくそれを解釈するといったほうが正確かもしれません。
それにしても、スーツとYシャツ、靴と下着を全部買い替えても4万円くらいに収まったので驚きました。
筆者がペラペラの安いスーツしか買わないことを差し引いても、
こんなに安く服が買えるいい時代に生まれたことに感謝しつつ、今日はきれいな部屋で気持ちよく眠れそうです。
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