
人生の虚無に襲われる筆者
深夜残業の疲れから、帰宅するなり失神するように眠り、気づいたら日曜日でした。
家事を済ませるとお昼になり、もう半日も休日は残っていません。
「生きるために働いているのか、働くために生きているのか分からなくなってからが人生」という迷言があります。
当然生きるために働いているはずですが、多くの日本人は別に1年や2年働かなくても死ぬことはありません。
それどころか、
・年金受給日にATMでお金をおろして(しかも手数料を払う)、その足でパチンコに直行して大負けするおばあちゃん👵
・生活保護で医療費がタダなのをいいことに、病院を掛け持ちして薬を余分に出してもらい(違法①)、余った分を路上で販売(違法②)し、お代は現金で受け取って申告しない(違法③)おじさん👨
ですらなんだかんだ楽しそうに生きているのに、
健康な労働者が多少働かないくらいで死ぬことなどありえません。
筆者など、現在の生活水準を維持したまま働かずに20年くらい、うまくいけば一生生活できるでしょう。
仕事で心身をすり減らしていると、「自分は死ぬために働いているのではないか」と思うことがあります。
ヴィッキー・ロビン、ジョー・ドミンゲス夫妻「お金か人生か」は本家アメリカのFIREムーブメントの火付け役となった名著です。
この本の一節で、現代人の働き方を表した部分が頭に浮かんできます。
「暮らしを立てているのではなく、
墓場を立てている」
筆者がこつこつ立てているのは暮らしでしょうか、それとも墓場でしょうか?
日本人男性の平均寿命は81歳ですが、健康寿命はせいぜい73歳くらい(2022年)です。
加齢による活動量の低下も考慮すると、もう筆者の人生は3/5くらい終了しているといえます。
労働の痛み止め
労働のつらさに耐えるため、たくさんのオピオイド(痛み止め)が用意されています。
・酒🍶
・ タバコ🚬
・ お菓子🍦
・ ゲーム🎮️
・ ポルノグラフィー🔞
・SNS🐦️
・ ショッピング🛒
・クスリ💊
・ギャンブル💸
このうちショッピングやギャンブルにはまるとお金が飛ぶように消えていき、
労働→つらい→ストレス発散→お金がない→労働→つらい
というラットレース、もとい無限労働地獄から逃れられなくなります。
自然な労働
考えてみれば、現代人の労働観はヒトの自然な形から大きく外れています。
多くの現代人は、18歳、22歳までそれほどお金を使いません。
学生時代に一人暮らしをしていた方は思い出していただきたいのですが、一般的な一人暮らしの生活費よりはるかに低い生活費でも満足していたはずです。
それが、高校あるいは大学を卒業するとベルトコンベアのように就活をし、「お客様の笑顔のために」 「誰がの役に立ちたい」 などと心にも思っていないきれいごとを並べて採用されます。
そして初任給は一人暮らしの初期投資と家賃に消え、2年目に昇給した分は住民税に消え、
その後は昇給するたびに家電、家具、自己啓発、服、恋愛、結婚、車、家、保険、子供の教育費、老後の資産・・・
と次々と「必要」なものが増え、その代金を支払うために働いている・・・という設定になります。
目的と手段の転倒
しかし、考えてみればこれは何か深刻な転倒をはらんでいるように思います。
普段は質素な生活で満足しており、趣味の延長としての仕事、あるいは資産から生まれる収入で生活している。
そしてなにか欲しいもの、例えばニンテンドーSwitchがあり、その代金が明確になっており、その金額を支払うために労働する・・・
これが筆者の思う「自然な」労働観です。
欲しいものがあれば、働くモチベーションも保てるでしょう。
そして欲しいものが手に入ったら、またもとのはたらかない生活に戻ります。
不自然な労働
しかし現代人、とくにホワイトカラーのサラリーマンは、まずなにか欲しいものがあったから正社員として就職したのでしょうか?
筆者にはまず「学校を卒業したら就職するのが当たり前」あるいは「親の期待に応える」ために就職し、
その後労働のつらさに意義を持たせるためにあとから「ほしいもの」を作り出しているかのように思えます。
言い換えると、なにか欲しいものがあって、そのために働くというより、まず「労働」が所与のものとしてあり、その苦痛に意味を与えるために消費しているように感じるときがあります。
退職による気づき
退職すると、働いていた時に「欠かせない趣味」だと思っていたもののいくつかは実は「労働のストレス解消」であり、働かなければそもそも必要なかったことに気づきます。
さらに、働いていた頃の目的、出世とかやりがいなどが本当は「目的」ではなく、
労働という「目的」が無意味であることをごまかすための「手段」だったことに気づきます。
おわりに シーシュポスの岩
古代ギリシャ神話で、神の言いつけを破って人間に火を教えてしまったシーシュポスには、罰として大きな岩が山から転がり落ちないようにする刑が与えられました。
シーシュポスは必死に岩を山の上に押し上げようとするのですが、ある程度のところまで登ると、岩は山肌に沿ってコロコロ転がり落ちてしまいます。
そしてシーシュポスはまた岩を山の上に押し上げる羽目になり、永遠に岩を持ち上げ続けるという苦行を強いられます。
シーシュポス😭かわいそう・・・
現代の社畜とシーシュポスに共通するのは、「無意味な苦痛」です。
人間は目的のある苦痛には耐えられても、無意味な苦痛には耐えられません。
そこで苦痛が無意味であることをごまかすために、大きな家、立派な肩書、仕事のやりがい・・・もとい、墓場を建てることになるのでしょう。
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